『仏陀再誕』 我、再誕す
2009年 10月 20日
諸々の比丘、比丘尼たちよ。映画『仏陀再誕』のエンディングの最後に、トップの仏陀の顔が映って終了となります。強い念を感じるのは、私だけではないと思います。
私の声を憶えているか。
あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである。
幾万年、幾十万年、幾百万年の歳月のなかで、
あなたがたは、私と共に地上に生まれ、
実在界にあって、また我が弟子として、道を学んできたはずである。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我はここに再誕す。
我が再誕を喜べ。
我が再誕に気づけ。
我が再誕に、その事実に、その時に、気づけ。
あなたがたは、かつてあのインドの地で、
私の話を聞いたはずである。
あのインドの地で、我が教えを聞きたる、
幾千、幾万の、縁生の弟子たちよ。
あなたがたは、目覚めなくてはならない。
あなたがたは、まだ深い眠りを貪っているのではないか。
あなたがたが眠っていては、私は本来の仕事ができないではないか。
我が目覚めた時、すべての弟子たちは目覚めなくてはならない。
我が声を発した時、すべての弟子たちは我がもとに
集い来らねばならない。
縁生の弟子たちよ。
この懐かしい響きを聞け。
この懐かし声を聞け。
この懐かしい言葉を想い起こせ。
私は、常づねあなたがたに語っていたはずである。
人間というものは、いかに偉大なものであるかを。
人間の魂が、いかに偉大であるかを。
人間というものは、どれほど大いなる使命を帯びているかを。
縁生の弟子たちよ。
我はおまえたちに、かつて教えたはずである。
おまえたちの、今のその姿は、その顔は、その心は、
とうてい、
ダイヤモンドのごとき輝きをたたえているようには見えないであろうが、
しかし、心を澄まして自らの内を観よ。
心を澄まして、自らの真なる姿を観よ。
心を澄まして、自らの真実の姿を観た時に、
そこにダイヤモンドの姿があるはずだ。
そこに、金剛石の光があるはずだと、
私は、あなたがたに、教えてきたはずである。
今日、瞑想をしているときに、仏陀の御心はどこにあるのだろうかと考えていたら、「仏陀再誕の事実を一人でも多くの人に伝えよ」という強い念いが浮かんできました。それで、今日のエントリーになったわけです。
仏陀再誕の事実を日本人がどう受け止めるかは、わかりませんが、現代は、仏陀が再誕している最大に幸福な時代だといえます。魂の転生の過程において見るならば、数千年に一度あるかどうかという時代といえそうです。インドでは、メディアが日本に仏陀が再誕したと報道し、数万人規模で信者が増えているとか。日本の多くの方にも気づいていただければと思います。
by happyscience
| 2009-10-20 23:23